東京地方裁判所 昭和59年(行ク)1号 決定
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
【判旨】
一本件申立ての趣旨は、相手方が昭和五八年一二月二六日付で申立人に対して発付した退去強制令書に基づく執行は、送還部分に限り、本案判決が確定するまでこれを停止するとの決定を求めるというにある。
二1 よつて按ずるに、一件記録によれば、申立人は昭和三七年一一月一一日本籍地の朝鮮咸鏡南道北青郡北青邑四八班において、朝鮮人父閔史淡、同母李曽尊との間の三男として出生成育し、北青城東中学校を卒業後、同五五年平安南道南浦市所在の朝鮮人民軍第九九七部隊に入隊し、下士として軍務に服していた朝鮮人であること、申立人は同五八年一〇月三〇日ころ軍隊を脱走し、朝鮮南浦港に停泊中の日本籍貨物船第一八富士山丸に潜入したが、同年一一月三日対島沖の公海上において同船の船員に発見され、同月四日、出入国管理及び難民認定法(以下「法」という。)七〇条一号、三条一項違反の容疑で逮捕され、福岡入国管理局入国警備官に引き渡されたこと、同警備官から申立人の引渡しを受けた同局入国審査官は、申立人が法二四条一号に該当すると認定したこと、申立人は同局特別審理官に口頭審理を請求したところ、同月一四日、同審理官は入国審査官の認定に誤りがない旨判定したこと、そこで申立人は法務大臣に対し異議の申出をしたところ、法務大臣は同年一二月二〇日、右異議の申出は理由がない旨の裁決(以下「本件裁決」という。)をしたこと、右裁決を受けた相手方は同月二六日申立人に対し退去強制令書を発付した(以下「本件処分」という。)こと、申立人は本国に父母の外、兄二人、姉、妹、弟が存在しているが、我が国には係累も居住歴もなく、日本語はいささかも解さないこと、申立人は二一才の独身者であり、健康状態は良好なこと、なお申立人は昭和五八年一二月二四日法務大臣に対し難民認定申請を行い、同日、右申請は受理されていることが一応認められる。
2 申立人は、本件裁決は申立人に対し特別在留を許可しない旨の判断を含むものであるところ、申立人は朝鮮において政治的理由により迫害を受けるおそれがあつて法二条三号の二に規定する難民に当たり、我が国に政治亡命するため入国した者であるから、法務大臣の右判断は、難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という。)及び法六一条の二の八の趣旨に反するばかりか、人道に反し、法務大臣に認められた裁量権の範囲を逸脱したか、裁量権を濫用した違法があり、本件裁決を前提とする本件処分も違法であると主張する。
申立人が朝鮮からの脱走兵士であることは右に認定したとおりであり、一件記録によれば、朝鮮においては軍隊を脱走しあるいは朝鮮の地域から脱出した者は銃殺を含む厳重な処罰を受けるおそれのあることが一応認められる。しかし、法六一条の二の八は法により難民の認定を受けた者を対象とする規定であるところ、申立人がいまだ法務大臣により難民の認定を受けていないことは明らかである。のみならず、難民とは、「人種、……又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、……国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの……」(難民条約一条A(2)、難民の地位に関する認定書一条2)をいうから、単に軍隊からの脱走又は朝鮮の地域から脱出したことにより処罰を受けるおそれのある者はこれに当たらないものというべきである。
申立人は、右脱走等の理由として、昭和五八年一〇月一七日、申立人の書いた朝鮮の官僚主導の政治体制を批判する「独裁社会と民主主義社会に対する私の見解」なる文書を思想取締りの秘密警察たる保衛隊に摘発され、右文書に関し一〇日間にわたり尋問を受け、同月二七日には、旅団保衛部長から軍団保衛部長に対し申立人を早急に「処理」すべき旨の電話をしているのを聞いたが、右「処理」とは、秘密裡に抹殺するとの意味であるため、日本への亡命の意思を固め実行したものであることを挙げ、従つて申立人は、その政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあると主張する。
しかしながら、一件記録によるも、右文書の摘発及びこれに対する処罰ないし制裁の蓋然性については申立人の供述があるのみでこれを客観的に裏付ける資料は皆無であり、また、右供述によつても申立人は現実には身柄の拘束も受けず外出も自由に認められていたことが一応認められるのであつて、いまだ申立人において「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有」し、法二条三号の二にいう難民に当たるとは認めることができない。
また、申立人がその主張のとおり前記文書の摘発ないし政治的意見のゆえに迫害されるおそれがあつたと仮定しても、法務大臣による法五〇条に基づく在留許可の許否、特に本件のようにいわゆる不法入国者がその入国にあたり発見、逮捕されたような場合の許否については、法務大臣に極めて広汎な自由裁量権があるものというべく、当該外国人が本国から迫害を受けるおそれがある者に当たる場合でも、その者に対する本国における迫害の態様、程度、我が国への入国動機、経緯、第三国による引受けの有無、在留を認めた場合の我が国の負担の程度、その国際的影響等を総合的に判断して法務大臣においてその許否を決することができるのであり(難民の認定を受けている者についても法務大臣に特在許可の許否につき自由裁量権があることは法六一条の二の八の規定から窺われる。)、右判断は重要な事実に誤認があること等により全く事実の基礎を欠き又は社会通念に照らし著しく妥当性を欠くことが明らかな場合に限り違法とされるものと解すべきところ、一件記録によれば、本件裁決にあたり法務大臣には重大な事実の誤認はないこと、申立人の我が国への入国の動機は我が国が自由主義国で、風俗・習慣も比較的朝鮮に近く、朝鮮・韓国人が多いからというにすぎないこと、申立人と人種・言語を同じくし自由主義国である大韓民国は申立人の受入れを表明していることが一応認められ、これらの事実を前記認定の申立人の脱走及び入国の経緯、申立人と我が国との結びつき等を総合すると、本件裁決には裁量権の範囲を逸脱し又は濫用した違法があるとは到底認められない。
<中略>
3 次に申立人は、本件処分は、事実上朝鮮と大韓民国に限定された送還先を強制するもので難民条約三三条、法五三条三項のいわゆるノン・ルフールマン原則に違反するか、著しく不当であると主張する。
しかしながら、仮に申立人が法二条三号の二にいう難民に当たるとしても、右各条項により送還できないのは朝鮮に対してのみであり、大韓民国に申立人が送還され、申立人が「政治的宣伝」に利用された結果、朝鮮に残した家族に危害が加えられるとしても(危害の程度、蓋然性についての客観的資料は存在しない。)、右条項に当たるものでないことは文言上明らかである。のみならず、法五三条二項によれば、外国人をその国籍国に送還することができないときは、本人の希望により「その他の国」に送還することができるものであるから、本件処分が右各条項に違反するものとはいえない。
三以上によれば、本件申立ては、「本案について理由がないとみえるとき」に該当するから、その余の点を判断するまでもなく失当として却下することとし、申立費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり決定する。
(時岡泰 満田明彦 大鷹一郎)